【長編外伝】すべては、この道につながっていました

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       すべては、この道につながっていました

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竹内です。

マイスタイル設立以前の竹内は、多摩地域でいくつかの地域ポータルサイトの
運営に関わっていました。

小平でも、商工会主宰の「こだいらネット」の立ち上げに参画していました。

そこから生まれた、活動キーワードは「地域!」。

泥臭くって、あったかくって、面倒くさくって、愛しい…。
そんな「地域」へのこだわりや、地域ポータルサイトの現場、地域での起業の実態、などなど
その後のマイスタイル設立に突き進む私の原点になった日々を振返ってみます。

▼こだいらネットって?

まずは、こだいらネットの概要を。

「市民とともにつくるポータルサイト」という構想に惹かれ、縁あって立ち上げチームに
参画し、市民サポーターチームづくりの声がけや、その世話人的な役割を担いました。

準備を重ねて、取材を開始したのは、2003年11月1日。
2ヶ月で300店舗を超えるお店のページを作り上げ、翌年2月半ばにはアクセスも
2万を突破。

人口18万ほどの、さほど大きな商業集積もない街にしては、善戦したのではない
でしょうか。。

短期間での立ち上げの細かなノウハウはもちろんありますが、こうした結果の推進
力となったのは、
「人の力」や「人の思い」。

この時生まれた軸が、その後のマイスタイルを育んでいます。

▼基盤は過去の軌跡から

さて、ここに至るまでの私の軌跡が、今につながっています。

◇――大学卒業後から専業主婦まで――◇

 大学卒業後、教材制作会社に勤務、編集部に所属して小中学生対象の教
 材の企画・編集、印刷会社との交渉、進行管理などを担当していました。
 仕事は楽しく、一人暮らしの気楽さもあり、残業もOKのノリで、思う存
 分仕事に打ち込んでいました。

 26歳で結婚。勤務先と新居が遠いことから教材制作会社は退職。
 その後、結婚2ヶ月目から外資系パソコンメーカーに勤務し、輸出入に
 関する営業事務を担当しました。
 やはり仕事は楽しくまだ子どものいない気楽さから、再び残業OKの仕事
 振りでした。外資系のフランクな社内の雰囲気も心地よく、ここで長く
 やっていきたいと思う間もなく夫の転勤。泣く泣く退職し長~い転勤生
 活がスタートしました。

 夫が転勤の可能性がある、ということは分かっていました。ただ、現実
 化するまでピンときていなかったのです。ある意味、甘かったともいえ
 ます。当時は、在宅勤務という選択肢もない時代でしたから、転勤族の
 妻イコール専業主婦という図式しかありませんでした。

 ◇――出産・育児――◇   私(29~39歳)子供(0~10歳・0~4歳)

 転勤は短い時は1年で、長くても3年という周期で日本全国東へ西へ振
 り子のように移動しました。現在までに8回の引越し回数を数えます。
 その間、それぞれの地で二人の子どもを出産しました。

  29歳、第一子出産。
  35歳、第二子出産。

 母が病弱なため里帰り出産はできず、核家族での子育ては厳しいものが
 ありましたが、その代わり「ご近所ネットワーク」には大いに助けられ
 ました。かねてより「ないものは作ってしまおう」と考えるタイプで、
 ママ友達が欲しければ「子育てサークル」を作り、子育てをフォローし
 てくれる人が必要なら幼稚園仲間にチラシを作って募り、と行った先々
 でご近所ネットワーク作りに励みました。
 また、地域行事にもできるだけ関わるようにした結果、短期間に地域に
 根を張ることができ、転勤族の孤独を味わうということもありませんで
 した。

 今になって思えば、こうした活動が10年という長い専業主婦生活の中に
 あっても、仕事に復帰するための勘を鍛える役目を担っていたのだと思
 います。子育て中で、なかなか仕事に打ち込めないお母さんたちに伝え
 たいことは「動けるようになってからでもチャンスは必ずつかめるので、
 子育て期間はあせらずゆったり子どもと向き合い、その間PTAや地域
 活動に出来るだけ参加し人脈を作ること。それが今後の大切な財産・経
 験になっていく」ということです。

 ◇――再就職第一歩――◇  母(39~40歳)子供(10~11歳・4~5歳)

 再就職のきっかけは夫の転職です。一番の動機は私も経済的に家庭の
 担い手になりたいということでしたが、
 子どもの手が離れ、そろそろ仕事に復帰したい、という時期でもありま
 した。ただ当時、地方の郡部にすんでいたため、とにかく仕事がありま
 せんでした。新聞に求人広告など入ることはなく、主流は内職または農
 業手伝い(!)。しかも、競争率が高かったのです。

 そんな時、広報で「臨時職員の募集」の記事を見て10年ぶりに履歴書を
 書きました。役場に提出に行くとその場で短期のお仕事をいただき、当
 時4歳だった子どもの預け先確保のため、その足で保育所に直談判。無
 事、2ヶ月の仕事を得ました。2ヶ月とはいえ、今後につなげるため毎
 日が面接のようなものだととらえ、仕事には全力投球しました。そして
 終了後、ほどなく今度は長期の「女性センター」での仕事の話をいただ
 きました。

 些細な仕事でも、手を抜かない。そこからどんなチャンスにつながるか
 分からない、というのがそこで得た教訓です。

 ◇――転機――◇     私(40歳~41歳)子供(11~12歳・5~6歳)

 一年ほどして、夫が再び転職。こんどは東京です。しかも転勤の予定の
 ない職場。やっと、腰を据えて仕事に取り組める環境です。
 「女性センター」を退職し、東京に引っ越すまでの4ヶ月の間に、失業
 手当を受けながら「雇用促進事業団」委託の職業訓練講座に通い、「日商簿
 記」「MOUSワード」「MOUSエクセル」の資格をとりました。

 その頃、一足先に東京に行っていた夫から、ある女性ネットワークのU
 RLを知らせるメールが届きました。「お母さんだって輝きたい」とい
 う背中を一押ししてくれるような雰囲気のサイトでした。
 そのサイトで、PCインストラクター募集の記事を見つけ、東京に引っ越し
 て1週間後にはそのネットワークに会員登録し、あわせてインストラク
 ターにも応募しました。
 その後、スタッフにとのお話をいただき会員登録とニューズレター発行
 を担当しました。

 インストラクター初仕事は、ある市の「シルバー人材センター」主催の
 パソコン講習。その後、ある区のIT講習の講師も勤めました。
 このIT講習ではテキスト作りから関わり、自分の作ったテキストで講
 習できる機会に恵まれました。その後、ソフト会社が全国展開するため
 モデル教室として開いたパソコン教室に、週3日勤務するようになりま
 した。

 この頃、長男のクラスは学級崩壊・不登校児の続出など大変な状況だっ
 たため、PTAにも積極的に関わり急遽決めた中学受験のため子どもの
 家庭教師のようなこともやりつつ、パソコンサークルを作って地元の子
 育てサークルと共同でイベントを開いたりと忙しくしていました。

 
さて、こうした軌跡を経て、運命に導かれるまま、「暮らすまちを元気に!」という
思い
をもとに活動した結果、その後のマイスタイルにつながる仲間と出会いました。

出産、子育てで、実家の背ポートを得られなかった私ですが、ご近所ネットワーク
からの救いの手をきっかけ
に再起。
以来、恩返しとばかりに頑張るうちに、いつのまにか、さまざまな活動の
ステージ
を手にしていました。

子どもたちに「世の中すてたもんじゃないでしょ?」っていえる日常を用意して、
もちろん大人たちもその中で居心地良く暮らしていける地域づくりに、傍観者で
なく主体者として関わっていきたいというのが願いとなりました。

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          「いっしょにやらない?」

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▼小平市って?

さて、小平市といっても「どこ?」という方のために、ざっと概要を。

場所は東京の多摩地域。いわゆる武蔵野の面影を残す、緑豊かな土地です。
桜の季節には、わざわざ遠出するまでもなく、歩く道すがら、そこここで桜舞を
堪能できます。

人口は約18万。とくに大きな商業集積はなく、いわゆる「東京のベッドタウン」
という一言で片付けられがちな街でもあります。

住民からして「小平って何もないよね~」とつい、言ってしまう街なのですが…

▼「何もない街」の地域ポータルサイトって?

都心の街なら、お店情報だけでも充実のサイトになるでしょう。
田舎のサイトなら、素朴な風土や観光・名産がテーマのサイトができるでしょう。

では、とくに「何もない」地域のポータルサイトって?

そこには、「暮らし」と「商業活動」の明確な住み分けはありません。
日常の暮らしの中に、自然に商店街があり、「お買い物に行くぞ!」といった気合
の入った「ハレ」の要素はなく、普段着の生活が淡々と営まれています。

…ということで「とくに地域ポータルサイトとして掲載するものってないんですよ~~」
って、終わりそうですが…

違います!

たまたまこの街に住んで、そしてこれからもずっと暮らしていきたい。
だったら、住んでて面白い、わくわくする街にしたい。
商店が元気ないんだったら、いいところ作リ出して頑張ってみたい。
子どもたちに「ねえねえ、ここって、けっこう良いまちでしょう?」って言ってみたい。

「何もない街」の主役は「人」!

「こんなイベントやるよ」っていう情報発信をする人がいて
「いっしょにやろう」って手を挙げる人がいる。
「うちのお惣菜自慢」するお店があって、買い物袋提げて買いに走る人がいる。

発信して、つながる。
人と人がつながる。

それが「何もない街」の地域ポータルサイトなんです。

▼いっしょにやらない?

こだいらネットの立ち上げは、「住民自身が、欲しい情報を、住民の手で」という
方針で
始まりました。

取材からページ作成にいたるまで、街の応援団の「市民サポーター」が担当した
のが特色
でした。

メンバーは一本釣り。
いわゆる街のキーマン発見のためにセンサーを張り巡らせました。

東に子育てサークルのリーダーがいると聞けば公園に走り、
西にPTAでばりばり頑張っている人がいると聞けば昼下がりのファミレスでランチ
をご一緒し、

南にリタイア後もアクティブに地域活動に頑張ってるシニアがいると聞けばご挨拶
にうかがい…

「いっしょにやらない?」

結果、20名ほどのメンバーが集いました。

あくまでも参加は自分の意思で、納得し共感した上で。そして、活動は強制する
ものではなく、
自分の自由な意思で。

この方針は、今のマイスタイルにもつながっています。

こうした「ゆるやかなつながり」の中で、日々、メーリングリストで情報交換し、地域
ポータル
サイト立ち上げ期の5ヶ月で、1000通を越すメールがやり取りされました。

▼きっと凹むだろう

さて、メンバーも集まり、説明会、ページ作り講習会、と順調に進み2003年11月1日から
いよいよ取材開始。
まずは商店がターゲットです。

が!

他のメンバーより、少~しだけ早く地域ポータルの運営に関わってきた私の中に
は、
ある懸念が…。

その1.商店は、飲食業を筆頭に他産業と比較してPC利用率が低い
その2.商店は後継者がなく一代限りと考えている事業所が多い

となれば、「HP作りませんか?」などと提案されても、まるで押し売りが来たかの
ような扱いを受けることも多々あるわけです。
というか、そういう経験が蓄積されている私としては、

「きっと凹むだろう」

と、半ば確信に近いものがありました。

そうした現実を事前に説明したとはいえ、実際に飛び込み取材を敢行して
「シッシ!」
とされてしまったら、ダメージは避けられず、そのときのフォローをどう
しよう、と
いろいろ口上も考えていたのですが…

▼いざフタを開けてみると

取材初日から、赤ちゃん連れの飛び込み取材で、いきなり4店舗分のページを
アップ
してしまった若いママ。

翌日には、日頃、会社で「管理職」の団塊の世代のお父さんが、ご近所の商店街
総当りで「30件」取材。
ちなみに、彼はメーリングリストに「私を超える人は現れるか?」という挑戦状の
ような投稿をして、他のメンバーをしっかり発奮させてくれました。

その後も快進撃は続き、取材開始2ヶ月で300店舗を越すお店のページが出来
上がって
いました。

もともとネットワークをもつ地域のキーマンに立ち上げメンバーになってもらったと
いうこともあり、取材が進むにつれて「クチコミ」効果からアクセスも順調に伸び、
オープン5ヶ月で2万7千アクセスを超えました。

▼メーリングリストより

★おとといは、靴の修理屋さんで、人には話せない裏話を、今日はクリーニング
さんで、安いクリーニング屋と手仕上げのお店の使い分けの仕方を、パン屋さん
では、大手メーカーのパンと小さな焼きたてパン屋のパンとの違いを伺いました。
いや~、おもしろいです!「明日もがんばろう」なんちゃって。

★「うちは、そんなのには載せなくて結構」とキッパリ断られましたが、今回の事業
の特徴を説明して、私たち普通の主婦がページを作らせてもらっていることを話したら
「そういうことなら是非お願いしたい」と考え直してくれました!(嬉)
思わず熱く語ってしまいました(笑)

★前途多難だなぁ~と思いましたが、取材って結構楽しかったりします!
お店のおばちゃんと立ち話して盛りあがったり、わざわざお店のホームページを
パソコンで見せてくれるところもあったりして、おしゃべりも弾みました。
(って、だから時間がかかっちゃうのか。。。反省)
意外な発見や出会いがあって、顔が見えてくると商店街に愛着が持てるように
なる
もんですね~

★何日か、子どもを連れてお店を回っていますが、協力的なお店は、子どもに
対しても
優しい??気がします。
子連れはどうなのだろうと、皆様も思われたかもしれません。でも、大変な分、
お店の方にも笑顔をもたらすいい材料になっていると思います。
さすがに、開店時間の遅い店には現状、お伺いすることができませんが…。
こだいらネットのおかげで、うちの息子は、飴にお煎餅に、おもちゃの携帯電話
まで
…いろいろ頂いております。
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             「語り部づくり」

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▼こだいらネット「語り部」作り

2004年4月・5月と2回「講習会のツボ講座」を開催しました。

「ツボ講座」って、何?

ということですが、対象者は市民サポーターの皆さん。
内容は、掲載店の方に更新の講習会を開催するにあたってのノウハウ伝授です。

ここで目指したことは、講習会では操作を伝えるだけの「インストラクター」には
ならないでください、ということを理解していただくことです。

このポータルサイトの目指すこと、消費者が望むお店のあり方、それをどうアピール
すれば良いか、そういったことを大前提に、まずサポーターさん自身が、こだいら
ネット
の「ファン」になっていただくこと、そしてその自信のもとに掲載店の皆さんに
こだいらネットの「語り部」となっていただくこと。
そんなことを伝えたくて、企画したのが「ツボ講座」でした。

今までは主に講習会担当は私を含め事務局の2名が担当でしたが、このツボ講座
受講の
サポーターさんから続々と講師が誕生しています。

中には60代の主婦の方や、この秋出産予定の妊婦さんも。

それぞれの立場で、やりたい気持ちがあれば、どんどん活動の場を作っていきたいと
願っていました。

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              「原動力」
                       
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▼「よそ者・ばか者・若者」、そして・・・

地域づくりには3人のキーパーソンが必要といわれます。
「よそ者・ばか者・若者」です。

「よそ者」は、地元の人が当たり前に思っていることも、外から来たからこそわかる、
その土地の良さを発見する人。古くからのしがらみがなく、自由に動ける人です。

「ばか者」は、ばかになれるくらい一生懸命ひとつのことに打ち込む本気の人。
この「ばか者」の理屈ではないエネルギーが周りの人をも突き動かし、連鎖をうんでいく、
車で言うとエンジンのような人。

「若者」はそのものずばり、若さの持つみずみずしいエネルギーをもつ人。

私はこれに「女性」も加えたいと感じています。

これらの人に共通しているのは、捨て身の強さということ。「地位や名誉」をもつこと
で、人は保身を身につけるものですが、「よそ者・ばか者・若者」そして「女性」には、
持たない者の強さがあります。シンプルに自分の内なる声に素直に動けるという
ことです。

それくらいでないと、地域づくりという「面倒」で「割の合わない」ことは、できない
ということなんだと思います。

でもこの地域作り、取り組んでみると「わくわく」して「楽しい」。

▼では私は?

では、私の「原動力」はなんでしょう。

転勤族で、8回の引越しを繰り返したすえに、小平市にたどり着いたという点では
「よそ者」。

引っ越す先々で、地域情報を得ることの必要性を身にしみて感じて、新参者にも
関わらず、
「子育てサークル」を作って、地元のお母さんのネットワークから、地域
情報を得てきました。

転勤族暮らしで何が一番困ったかというと、出産前後のあれこれ。

両親が病弱で里帰り出産をしなかったため、二人の子ども達はそれぞれ別の
地域で産み、産院
から退院したその日から腕まくりした子育て生活が始まりましたが、
自分の手で全てを経験できたことは、振り返ってみるととても幸せなことでした。

でも、さすがに毎日の食事の仕度がつらくて、上の子の幼稚園の送り迎えが
たいへんで…。

で、どうしたかというと、ご近所ネットワークに助けていただきました。

お料理好きの奥さんをスカウトして、栄養バランス満点のお弁当を宅配してもらったり、
子どもの幼稚園でチラシを配って、出産後の子どもの送り迎えをお願いしたり。

もちろん、仕事としてお願いしましたが、こちらからの謝礼以上のことをしていただいたと、
今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
と同時に、地域にはさまざまな能力と意欲を持つ女性が数多くいるということにも
気付き
ました。

こうした暮らしを10年ほども続けて、いつしか私の特技は、短期間に、地域に深く
根を張る
ということになっていました。

そういう意味で、地域ポータルサイトに関わるようになったのは、とても自然な
流れでした。

「ばか者」という点もあてはまるかもしれません。

たとえば真冬の雨の中、朝から一日中、ちらしを持って一件一件商店をまわる
なんていう
ことは、普通だとやらないことかもしれません。
時には、押し売りがきたかのように、冷たく追い払われることもあるわけです。
それでも、やりたい。理屈ではないのです。

これらすべての原動力が、じつは「女性」ということにあるということに気付きました。

結婚し、子どもが生まれ、転勤族の核家族だったので、当然のように専業主婦を
選びました。

幼かった子どもたちを、自分の手で育てることができたことに後悔はないのですが、
気付くと
「仕事」という世間からは浦島太郎状態でした。

それを取り戻そうと、短い期間にオーバーヒートしそうな程、仕事に突っ走って
きたのですが、
そして、それなりに形になりつつもあったのですが…。

何かが違う。
仕事だけでは自分が空っぽになってしまいそうな気がする。

ほんとうに、私はこれでいいの??

仕事で自立することと、地域に目を向けた地道な活動に励むことと、バランスを
とりたいという
思いが形になるまでに、そう時間はかかりませんでした。

ああ、そうだ。

地域で、自分の思いを実現させる仕事を創ればいいんだ。
愛する家族が暮らすこの街で、思いを分かち合える人たちと、好きな分野で。

「好きな場所で、好きな仲間と、好きな仕事を」。

だから私は「コミュニティビジネス」の世界に心惹かれたのでした。

▼コミュニティビジネス

コミュニティビジネスとは「地域の困った」を解決するためにビジネスの手法で
「志(こころざし)」
を実践することです。
「地域に優しいビジネス」とも言えます。

介護であったり、子育て支援であったり、居場所づくりであったり。

かねてより、ボランティアという形で、こうした地域活動は行われていました。
しかし、コミュニティビジネスとは、ボランティアではなく、利益をあげ、そこから収入を
得ていくことで活動を継続させていくものです。

活動の形態は、NPO法人、会社、個人事業、組合、商店など様々なものが含ま
れますが、共通する
ことは地域や社会に役立ちながら、しっかりと収益をあげて
自立するということです。

コミュニティビジネスの舞台は地域。
お客さんになる人は、地域に住む人。

ならば地域への情報発信ツールとして、地域ポータルサイトはコスト・機動力という点で、
有効な
ものとなるでしょう。

▼こだいらネットMLより

こだいらネットに参加している人の多くは、私と似たバックボーンをもつ女性です。

MLで繰り広げられたやりとりの一部をご紹介します。
そこには地域で女性が思うこと、そこで始まろうとしている潮流の一端を知るヒント
あります。

みなさんは、この流れから何を読み取るでしょう。

———-

最近は「仕事」って個々人によって様々だと思うようになりました。
外で働くのも仕事、家の中のことをするのも仕事、NPO・市民活動も、経済効果
にすると

何兆円に換算されると聞くと、それも仕事といってもいいかなと。

その人の環境や家庭の事情等でいろいろな仕事の就き方、選択肢があるのでしょう。

今の私は、地域に貢献しながらお金が稼げるといいなあと思っています。
そうまさにコミュニティビジネスで。

———–

OLを辞めて主婦になって、子育てとか、老人介護とか、自治会のお掃除とか、PTA活動とか、
そういうお金に換算されない「仕事」によって、社会の半分は支えられている、
と感じました。

お給料やボーナスをもらっていた頃は、わからなかったことです。
今、経済や社会の表舞台にいる偉い人たちは、わかっているんだろうか?
わかっていて欲しいなあ、と思います。

主婦になって、何が辛かったか、というと、やはり、「評価されないこと」。
評価=お金、という感覚が染みついていたので、お給料をもらえなくなった途端、
自分が何の
価値もないような気がして辛かったです。
もちろん、そんなことは全然ないんですけど、世の中にまん延している「経済優先」
ってのに、
いつの間にか毒されていたんですね。

バリバリとフルタイムで働く、から、家事と子育ての合間にPTA活動、まで、本当に
千差万別
の選択肢があって、どれが今の自分に合うのか、難しいですね。

ちょっと前までは、どうせならお金になるような働き方をしたい、と思ってました。
けれども、最近は開き直って、経済的にどうにかなる間は、お金にならなくても
自分が意義が
あると感じることをとことんやろうと、思ってます。(夫に感謝しつつ‥)

自分が「意義がある」「やりがいがある」と感じることが、少しずつでも「お金」に
なる、
といいですね!\(^_^)/
そういう地道な活動が、まっとうに評価される世の中になって欲しいです。
いえいえ、みんなでそういう世の中にしていかなくては!
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           「地域で年を重ねる」
                       
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▼私事ですが

地域ポータルサイトの立上げに奔走している頃、愛媛の両親は介護の必要な
状態でした。

商売を営みながら4人の子どもを育て、就職も結婚も子ども達の自由にさせて
くれた両親でした。

結果、子どもたちは自由に生活の場を選び、東京・千葉・横浜・福岡と見事に
ばらばらに暮らしていました。

そして、それを許してくれる両親でした。

2004年のことです。20年来、病弱だった父を支え続けた母が脳梗塞で倒れました。
左半身不随。
いつかくるだろうと思いながらも現実逃避していた介護の問題と真正面から向き
合う日々が
始まりました。

残暑が残る、9月はじめのことでした。

▼ここで暮らしたい

両親が望んだことは、住み慣れた町で暮らし続けたいということ。
一方、子ども達は、それぞれの地に根を張って仕事をもち、家庭を築いていました。

その日から、子ども達4人が愛媛と自宅を行ったりきたりの綱渡り介護生活がスタート
したのです。

愛媛行きのローテーションを組み、仕事のやりくりをしながら次の者にバトンタッチ
の介護です。

メーリングリストを立ち上げ、密な連絡を取り合いながら、どうしても出向けない
空白期間は
家政婦さんをお願いし、打てる手はなんでもという感じでひた走った
日々でした。

それは、家を離れ疎遠になっていた私たち家族が、再びともに歩んだ一年でした。
同時に、仕事と子育てと介護をやりきる生活への挑戦の始まりでもありました。

▼介護施設へ…

こうした暮らしに限界を感じ始めた頃、介護施設の空きの連絡がありました。
病院附属の100名以上の入所者を抱える大規模な施設です。

折しも、一緒に施設に入れず離れ離れの生活を余儀なくされた老夫婦が心中と
いうニュース…。

待機の方が大勢いる中で、二人一緒に入居できたことは幸いです。

でも・・・

清潔な明るい大食堂に流れる軽やかなハワイアンのメロディ。その中で、互いに
一言も言葉を
交わすでもなく、車椅子に座り、無表情に食事が運ばれるのを待つ
人たち。

入浴は30分ほど前から裸で待機。流れ作業のような入浴の間、やはり言葉を
交わすこともなく、
されるがままに運ばれていく…

かつては、懸命に仕事をし、子どもを育て、年を重ねてきた人たちの終の棲家です。

▼では私にできることは?

両親にも、普通の暮らしを用意できたら…、と思いつつホームの不足に加えて、
情報も不足
している現実に突き当たりました。

地域の、どこにどんなグループホームがあって、そこにはどんなスタッフさんたち
が、どんな
想いで携わっているのか。

周辺はどんな環境なのか。今、空きはあるのか。

いざ必要となっても、こうした情報を得るのは簡単ではありませんでした。
残念ながら、私が関わる地域ポータルサイトも、これらの情報が充分ではありません
でした。

商店情報が集まるだけではない。子育て中の人から、介護を必要とする人まで、
地域に軸足を
置いて暮らす人にちゃんと役立つ情報発信のできるサイト作り。
自治体が発信する情報とは
一味違った、より具体的で人間味のある情報が集ま
るサイト作り。

両親の介護、コミュニティビジネス支援を通じて、目指す地域ポータルサイトの
イメージが
見えてきました。

まちに必要な仕事をつくるためにできることに力を尽くしていこう。
そんな気持ちも固まってきました。
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           「現場で動ける幸せ」
                       
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▼中間支援って?

NPOやコミュニティビジネスなど、それぞれの活動を支援する中間支援組織があります。
私自身、こだいらネットの活動に関わりながら、コミュニティビジネスの中間支援
組織の立上げ
を志向していました。

調査や提言、講座・シンポジウムの企画、相談会など、その活動はさまざまですが、
そうした
活動の中に、私がどうしてもはずしたくない一点は

「現場主義」

ということです。

事例を研究して、分析し、提言をするという手法もあるでしょう。でも、私は、机上
で論ずる
方法よりも「現場」で自らが実践しながらその苦労、問題点、可能性など
を肌で感じた上で、
より現実的な中間支援の活動につなげていきたいと思って
いました。

▼何が一番大変かって…

CBの現場で何が一番大変かって、それはやっぱり資金繰りです。いかに収益を
あげて、いかに
それを持続していくか…という部分です。

CBを志す人は、もともとボランティア志向の強い人たちが多いため、収益をあげる
という観点が
弱いのです。お金をもらうことに罪悪感をもつ人さえいます。

最近、「収益をあげることに無関心なCB活動はまわりに迷惑をかける」と考える
ようになりました。

キツイ言い方かもしれませんが、そう感じています。

やりたいことのために、周囲の善意の人を無報酬のボランティアとして動かす
わけです。

意義を感じて、無報酬で賛同して動く人は大勢います。
そのことに喜びを見出す人も。

でも、ほんとうにそれで良いのでしょうか。ボランティアで動く人を支えるために、
夫や家族が
頑張って働き、収入を得ています。その上に成り立つ活動です。

中心者が活動を続けられなくなったとき、その組織はどうなるのでしょう?
その活動を支えにしている人たちを放り出してしまうことになりはしないか?

多くの報酬を求めるのではなくても、有償で、対価を支払う仕組み。
それをきちんと作っていきたいという気持ちが日々強くなっていったのもこの頃です。
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           「天職派?ライフスタイル派?」
                       
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▼女性の時代?

「21世紀は女性の時代」という言葉は以前からよく耳にしてきましたが、それって
どういう
ことなの?、と真剣に考えたことはなく、なんとなく「女性が強くなったという
ことよね」

程度に思っていたのですが…

よくよく考えてみると、私がこだわっている「地域」や「コミュニティビジネス」という
テーマが、
そもそも「女性」的な発想からくるものなんだということに思い当たりました。

「男性的」のキーワードが「競う、大量、統一、大都市、大企業」だとしたら
「女性的」のキーワードは「共存、少量、多様、小都市、中小企業」という感じ。

この「女性的」のキーワードは、そのまま「コミュニティビジネス」のキーワードに
あてはまる
んですよね。

男性である、女性である、ということに関わらず、人々が「女性」的なものを求める
「時代」に
なってきたのだと思います。

▼さらに分類すると…

でも、コミュニティビジネスには「女性的」なもの、というくくりにはおさまらない
「泥臭さ」
があります。

それを突き詰めていくと、行き当たったのが「天職派」か「ライフスタイル派」か、
という考え方。

仕事をする上では、

仕事そのものが楽しい人=天職派と、仕事を通して得る優雅な暮らしとかが
楽しい人=ライフスタイル派

とがいるらしく、そういう区分けをするとしたら、

私は、まちがいなく「天職派」だなぁと思います。

仕事をすること自体が楽しくて、それに付随してくる「優雅な暮らし」には、それほど
興味が
ないんです。
仕事と、それに見合う収入があるにこしたことはないですが、それだけがが目的
ではありません。

富を得て「プチリタイア」という暮らしには、関心がないんです。

それよりも、好きな仕事ができて、それが人に役立つ仕事で、やりがいが感じられる
ことが、
私の中ではなによりも優先されます。

ということから考えると、コミュニティビジネスって「女性的」であって、さらに
「天職派」ということ。

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           「主婦に聞いてみよう!」
                       
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▼不動産屋さんで聞きました

地域ポータルサイトの立上げに奔走していた頃、ある不動産屋さんを取材で
訪ねたときに小耳に
はさんだこと。

当時、駅前に出店した居酒屋チェーン店。出店前の市場調査の結果がいまいち
だったらしく、
出店を決めるまでに紆余曲折した後、ようやくの出店だったとか。
ということで、担当者はそこの地域での売り上げは、さほど期待していなかった
らしいんです。

…が!

いざ、ふたを開けてみると、沿線ではトップクラスの売り上げ。
担当者を驚かせているらしい…。

でも、この結果、地元の人にとっては、不思議でもなんでもないんです。

たしかにその駅は、乗降客も少なくて、大きな商業集積もなく、専門的に数値で
表した資料
からは市場としてはさほど魅力のある地域ではなかったかもしれません。

でも

そこに住んでる主婦にちょっとでも聞けば、まったく違った印象をもったはずです。

なぜって、そこには、魅力的な居酒屋がないんです。
なので、それほど満足しているわけでもないけど、既存の店に出かけてたわけです。

で、それほど努力をしなくても、そこそこ集客できてしまう既存店の中には、接客
もぞんざい、
メニューにも工夫はみられないところもありました。
それでも他に行くところがなくて行っていたわけで、これが男性なら都心で飲むこと
がほとんど
で、自宅近くでわざわざ飲むこともないかもですが、そこは主婦、飲み
会はご近所が鉄則です。

地元のPTA仲間などは、忘年会シーズンになると「あそこしかないからね~」と半ば
あきらめ顔
で予約入れてたんですよ。
そこそこ魅力的な新規店ができれば、客は流れるだろうということは一致した意見
でした。

で、その通りになったわけです。

このあたり、数字の根拠もなく、「そう思う」「そう感じる」というあいまいな感覚なので、
従来のデータに基づくマーケティングになじんだやり方だと、なかなか採用できない
意見だとは
思いますが、じつは、核心をついていたりします。

▼モニター依頼

そうこうしているうちに、シンクロしたのか、その頃、ある大手企業からモニター依頼が。

これまでマーケティングは予算もかけていろいろやってきたし、消費者へのアンケート
もとって
きたけれど、どうも、本音に迫ることができないとのこと。
とくにマイナス意見は出てこない。無難な、お行儀の良い意見ばかりなのだそう。

座談会の人選もむずかしく、初対面の者どおし、強い意見の人が混じっていると、
結局その
1人の意見に引きづられ、ニーズがつかみきれないこともあるとか。

ということで、ご依頼は、人選も含めての座談会のコーディネート。

地域ポータルサイトの運営を通じて集まったサポーター組織は、オンライン上
だけではなく、
リアルな現場で密な交流があり、20代~70代まで、幅広い年齢層
を網羅しています。

さらに、それぞれがどんな人脈を持っているか、人柄はどうか、どの分野に強いか、
など把握
できています。

気心がしれた仲間内でのざっくばらんな本音トークの中から、見えてくるもの。
そこに消費を仕掛けるヒントが詰まっていると感じます。

▼もじどおりサポーター

さて、私自身も含めて、主婦サポーターは取材先のお店の「お世話したがり」が
多いんです。

ついつい肩入れしたくなるんです。

自然食品のお店に行けば「今、主婦仲間でよく話題になってるこの商品をもっと
目立つ場所に
置きましょう!」とか
「この通路、通りにくいから配置変えましょう!」とか、
八百屋さんの
店頭で「うそ~これ安い!」と叫んで、道行く人の足を止めさせたり、
などなど。

あげくの果てに、取材者の立場をさっさと捨てて、消費者と化してお買い物に
走ることなんか
は日常茶飯事です。

こうしたことから見えてくることは、消費者は値段だけで動くわけではないという
ことです。

お店のポリシーに共感して、ファンになって、同じ買うならあそこの店でという
気持ちをいかに
もってもらえるか、なんですね。

知ることでファンになり、地元のお店をどんどん活用し、勝手にPRまでするわけです。

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さて、長いお話にお付き合いいただき、ありがとうございました。

こうした過去があって、竹内の芯ができました。
それから間もなく、マイスタイルが立ち上がりますが、それは、また別のお話です。

つづく。

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