マイスタイルの母体は、小学校のPTA役員仲間です。

副代表理事の篠原です。
マイスタイルが生まれる前からの歴史を知っている数少ないメンバーとして、
マイスタイル前史の語り部として、トップバッターを務めさせていただきます。

マイスタイル@は、2006年にNPO法人「マイスタイル@こだいら」として生まれました。
ということは、今年2016年は、なんと設立10周年!
わーい、めでたい!ヽ(^o^)ノ

代表理事の竹内から「マイスタイル前史」を書くよう言われたのが、
10周年記念サイトリリース予定の前日。

「明日の夜までに、できたらお願い♡」と言われ、
「いいよ〜、書く〜!」とほいほい受けちゃうところが我ながらアホというか、
なんというか。

理事として10年マイスタイルに関わっているのは、こういうノリが合っているからかもしれません。

さて、思い起こすこと10年‥‥よりさらに前、
わたしが竹内を知ったのは2001年だったと思います。

わたしは5歳ちがいの二人の女の子の母ですが、竹内も5歳違いの二人の男の子の母で、
子どもたちはちょうど同じ学年でした。

竹内は、転校してきたばかりのところを
上の子のクラスのPTA委員に選ばれたらしいです。

らしい、というのは、わたしの長女はほとんど学校に行かない不登校児だったので、
上の子の学年についてはあまり知らないのです。
2001年にわたしは下の子の1年生のクラスの委員になり、
竹内は上の子の6年生のクラス委員になり、PTA活動をしました。

小学校や中学校のPTAには
1年から6年までの各クラスから選ばれた「クラス委員」がいて、
その他に会長・副会長・書記・会計などの「本部役員」と言われる人たちがいて
全体をまとめています。

学校によって違いもありますが、十三小のPTAは、会長ではなく代表と呼ばれていました。
組織の最高権力者じゃなくて、みんなのまとめ役、みたいな感じです。

クラスのPTA委員の選出は、子どもを持つ親にとっては毎年大問題。

4月の最初の保護者会で、誰かが引き受けるまで、重苦しい沈黙が流れるとか、
欠席したら「公平に」くじで決まってしまったとか、
「PTAあるある」だと思います。
最近では「PTAに強制的に入れられるのはおかしい」とネットで話題になっていましたね。

私と竹内のこどもたちがお世話になった十三小では、
その頃、翌年度の代表以下役員を「互選会」という方法で選んでいました。

事前に全会員の投票を行い、
得票数の多いほうから2〜30人に集まってもらい、その中で「互選」する
というやり方です。

全会員が選ばれる可能性があるわけですが、
PTA活動をやってくれそうな人として普通に思いつくのは
自分のクラスの委員さんという場合が多くて、
互選会に呼ばれて集まるのもクラス委員のあの人この人。

その中に竹内とわたしもいたわけです。

一年クラス委員をやれば、しばらくPTAから逃れられると思っていたのに、
なんだこのトラップは!って感じでしたね。
みんな「できない理由」をあれこれあげて逃れようとしたり。

そんな中
「篠原さんが代表をするなら、わたしは会計ならやります」と言う人が現れました。

その時わたしはうっかり
「一緒にやりたいと言ってくれる人がいるなら、やってもいいかも」と思ってしまったのです。
いわゆる「魔がさした」というヤツですね(^^;)

で、わたしは目の前にいた竹内の腕をがしっと掴んで
「一緒にやらない?」と誘ったのです。
こうして、翌平成14年度の小平十三小PTAの代表がわたし、
二人の書記のうちの一人が竹内になりました。

14年前のPTAは「働く保護者」のことなんか全然考えていませんでした。
その前の年までクラス委員が集まって話し合う運営委員会が、確か年に8回くらい、
平日と学校のある土曜日の午後に半々くらいに行われていました。

公立小中学校が「土日休み」になったのは、
ちょうど私たちが役員をつとめた平成14年度からです。

学校は当然、運営委員会を全て平日に移つつもりでした。
実際にそのようになった学校が多数あると思います。

でも「わたしたちの代」の十三小PTA本部は、6人のうち3人が働いていました。
そこでわたしの「代表」としての最初の仕事は、
運営委員会を6回にし、そのうち2回を土曜日に開くことに学校のOKをもらうことでした。
平日の昼間ばかりじゃ、専業主婦じゃない母は出れませんもんね。
今はどうなっているのかなあ。

さて、その他にも「わたしたちの代」の本部は、いろいろ面白かったと思います。

まず、働いている人が多いから、全員で集まることは極力減らしました。
減らしても仕事が回るようにMLを活用し、書類は共有フォルダにアップして閲覧・修正。
会員へ配布するお便りなどは、
校長先生へのメールにファイル添付で送ってOKをもらい、
印刷するときだけ学校に行けばいいようにしました。

本部6人で集まるミーティング時は、
あらかじめMLで決められることは決めておいて、論点を絞っておきました。
そして、ミーティングの協議事項は、極力前半でぱぱっと終わらせ、
後半は懇親会にしました。

みんな1品か2品お料理を持ち寄り、自分の飲むアルコールを持参して楽しく盛り上がりました。
うちの下の娘は、会計を買って出てくれた彼女の娘さんと同じ学年で、
母たちの話し合いの間、二人で折り紙したりビーズしたりして遊んでいましたっけ。

そうやって、みんなで力を合わせて一年を乗り越えたわけですが、
PTA活動はすっごく楽しかったです!

そりゃまあ、いろいろ陰口言われたり、足を引っ張られたりもしましたし、
わたしも未熟で気がつかなかったり、力が及ばなかったりしたと思います。
反省すること、腹が立つことも、まあ、あるっちゃありましたが、
それよりなにより、

断然面白かった!
勉強になった!
ワクワクした!
楽しかった!
嬉しかった!
一生の友だちができた!

世の中には「PTA不要論」とかもあるみたいですが、
わたしの感覚では「PTAやらないなんて、なんてもったいない!」
って感じです。

特にわたしみたいに、
若い頃は会社員だったけど、子どもができて専業主婦になって、
しばらく一般社会から遠ざかっているけどそのうち働きたい、と思っている人には、
PTA活動はやりようによっては、社会復帰への良いリハビリになると思います。

PTA活動をやれば、
書類の作り方、
人との連絡の仕方、
根回しや交渉、
リスクの回避、
子どもや家庭のケアなど、

テキスト読んでもわからないことが学べます。
しかも「地域の人脈」というお金では買えないお宝がついてくるんです!

すごいでしょ?

こうして竹内とわたしは、子どもの小学校のPTA活動で出会ったわけですが、
さてそれがその後どうなったのかは、また別の機会に‥‥‥。 

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